学校教育法11条に基づき述べてみましょう。 改め、不利益と責任について考えてみた。 学校教育法11条に基づき述べてみましょう。 改め、不利益と責任について考えてみた。
- [ *法 ][ school ][ 教育 ]
この件に関して。
「写真集出版で退学処分は無効」女性タレントの訴え棄却 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)写真集の出版を理由とした退学処分は無効だとして、女性タレント(19)が桐朋女子高校(東京都調布市)を運営する桐朋学園を相手取り、処分の無効確認を求めた訴訟の判決が27日、東京地裁八王子支部であった。
僕が付けたはてブコメントはこちら。
文字数が足りないし、考えた後で変わってるかもしれないけど、
確かにこの通り書いたので、残しておく。
それに対する、id:sjs7のコメント。
おほwDISられたw
多分、思うところ何を書いても噛み合わないと思う。というのは、前提が違うから。
『写真集が何に不利益をもたらすのか学校教育法11条に基づき述べよ』
というのはつまり、芸能活動を禁じるこの校則の正当性を説明せよ、ということなのだと思う。
学校教育法11条はこちら。
うむ。
では、述べましょう。
この校則は学校教育法11条に照らしてみて、不当だと思います。
具体的に何が必要と判断されかを説明するのは僕の義務ではないけれども、
(なぜなら、それは校則を定める人間が主観的に決められてしまうことだから)
仮に僕が生徒の立場であれば、必要性を説明できません。
…とココまで書いて、コメント見返したら、学校教育法11条が消されてた。。
あれ?
まぁいいか、仕切り直し。
ではもう一度。
ポイントは2つね。
さて、最初の定義を僕はしたことがないので、それを解釈するところから始めなければ。
つまり、何か義務があり、それを放棄した場合に不利益が生じる。
その不利益を回避するために課されるものが責任であり、
回避すべき不利益もないのに責任だけが課されるのは不当である。
と言う解釈で良いかな?
不利益が誰にとって不利益なのかよく分からないけど、
例えば責任を取って辞職する社長は、
自らがその職務にとどまることが会社に不利益を与えるから、
その不利益を回避する責任があると言うことで良いかな。
その不利益の良し悪しを論じないのであれば、
学校側には不利益が想定できるんじゃないの。イメージとか。まさに糞だけどな。
生徒側から見たら不利益でも何でもないし。
あくまで、学校側から見てみたと言うことで解釈して欲しいけど、
印象が悪くなる(本当に悪くなるかは問わない)という不利益を回避させるために、
責任を取らせるということになるよね。
これ、社長の例と実はあんまりかわんないんじゃね?とか。
社長が不利益と認めなかったら、責任があるかどうかは意見が分かれる。
(中学生の時の自分が聞いたら泣くだろうけども、)
不利益というのは、誰が判断するかによるってことだ。
校則の妥当性については、僕は判断しない。
いや判断しないって言うか不当だと思うけれども、それは僕の意見とは余り関係がない。
要は、学校と生徒双方にとってどうであったかであって、
僕の意見は求められていないから。
校則撤廃闘争をしたいのであれば、それはまた別の話。
それよりもむしろ、5年半の間校則として受け入れてきたと言う事実は、
校則の妥当性とは別にこの生徒が、
その妥当性を受け入れていたことを客観的に示してしまっているのでは?と。
裁判官が指摘しているのはそこじゃないの?
客観的な校則の妥当性は、必要とされていないんじゃないか。
その前提で、校則で禁じられている活動を具体的に行うことには、
と言う2つの不利益が想定できる。
(妥当性の受け入れとは別にしても、5年半もいたら想定できないということはないはず)
想定は出来るが、活動を優先させた。
もちろん、不利益については活動と並行して交渉し回避していくつもりであったと思うけれども、
結果としてその交渉は不調に終わり、不利益は回避できなかった。
ただそれだけなんじゃないのかと。
何度も書くけれども、校則の客観的妥当性は、この場合の問題じゃない。
(そして何度も書くけれども、個人的には1つも妥当性は見いだせない)
仮に、校則の不当性を認めたとしても、必ずしもこの生徒が救われるとは限らない。
不当な校則に対し、活動開始時点/活動中にでどんなスタンスであったかという、
この生徒個別の問題だ。
だからこそ、
『5年半も通った学校に戻って卒業したいという気持ちを裁判官に理解してもらえなくて』
と言うコメントはなんかこう…スッと落ちてこないって言うか。
結局、心情ベースかとか。
双方共に不利益はある。
僕は、退学処分にされて諦めることを自業自得、自己責任だと言いたいわけじゃない。
謝る必要なんかひとっつもない。
そうじゃなくて、責任を取るというのはどういうことなのか。
自分の行動のどの部分が、学校側にとって不利益だったのか。
それは生徒にとっては取るに足らないことだけど、もう一方に取っては重要なんだろう。
sjs7さんの定義に照らしてみても、生徒に責任が生じる余地は十分あった。
仮に未成年だからということなのであれば、
活動に際し、関係する成人が責任を持って不利益を回避すべきだった。
親も、事務所も、学校も。
誰も不利益を想定できないとは言わせないぜ。どう考えたって想定できるだろ。
そういう意味合い(未成年だから責任がない)でいうと、
生徒が責任を取るのはおかしいけれども
それ以外に契約がないから後は民事で不利益を具体的に明らかにして、
金取るくらいしかないな。
心情どうこうじゃなくて、
突き詰めて言うと、そこ解決しないと学校も戻すわけにはいかないでしょっていう話。
全ての学校を教育の場として特別視するのであればまた話は別だけど、
ビジネスで言えば、商売にならないからね。
最初からそこ詰めておけば、倫理、道徳的にどうかはともかくとして、
こうはならなかったんじゃないの。
でもって、特に私立なわけだし生徒の側にも選択の余地はあるはずなんでね。
校則に関する闘争はじっくりやって、身柄自体は転校しておくのが正解だったんじゃねと思う。
と言うわけで途中から明らかにだらだら書いてるけど、結論としては。
sjs7さんの定義に従って考えるに、
この生徒は回避できたかもしれない不利益を回避できなかった、ないしは、
その回避に対する努力を彼女ないしは周囲の大人が怠ったために、
その不利益を埋めるために責任を取らされたのだと考えます。
不利益については、学校側にとってはイメージ、生徒側にとっては退学処分かと。
(確信が欲しいのであれば、学校側に問い合わせてください。僕が定義することではないので)
そして僕が学ぶべきだと思ったのは、強大な学校とそれに心情で挑む活動ではなく、
校則の妥当性や利益/不利益の存在等を意識して活動すること。
仮に裁判官が心情を理解しても、すぐに問題解決にはならなかった。
なぜなら問題は心情じゃないから。
以上です。
校則が規定されている事実から学校側が不利益に感じることが想定できたはず、
および、校則を無視して活動を続ければ自分が不利益を被ることが想定できたはず、
の2点から、学校側に不利益があって責任取らされても、
自分がしたいことだから仕方がないと言う覚悟で仕事をした…という意味合いでの、
『自己責任で活動した』はあったかもしれないけれども、
エントリ書く中で、生徒本人が責任を取らされる理由があるかどうかは、
ハッキリしない(そもそも、生徒以外の人間は何してたんだ)と言う結論に至ったので、
責任取れ、については削除しました。
どう言い訳してみても、生徒本人に言ってるようにしか取れないし、
責任の取り方にも色々あって、退学が責任の度合いとして妥当かって言う視点もあるだろうし、
コメントいただいたということもあるので。
(常にそういう方針と言うことではなく元が反射のコメントだし知識も足りないからそれに沿ってる)
間違ってるところも(そしてただの推測も)たくさんあると思うので、
その辺の検証については、sjs7さんに譲るとして、少なくとも、
っていう指摘は当たってるなーと思った。いかに字数足りないとはいえ。
責任の取り方や、責任を取れって言う言葉の安易さについては、
今までにも何度か書いてきてるんだよね。
責任で検索した感じではこの辺。
ゴキブリ高校生、自主退学だって? - NOBODY:PLACE - MUTTER
お調子者の住みにくい世界、かなぁ。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
いや、傷害は犯罪でしょ。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
朝青龍への処分が決定。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
高校野球の不思議。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
その中で書いていることは、状況によってぶれはあるけれども、
基本的にはこんな感じ。
例えば、朝青龍について書いたエントリが、僕個人としては印象的なのだけど、
責任って朝青龍は誰に対する何について責任取るんだ?みたいな感じ。
出場停止が責任取ってることになるとは思えない、なぜって、
それで相撲ファンは喜ぶのか?許せるか?みたいな。
高校野球の連帯責任についても同じかな。
責任の所在をはっきりさせずに、責任のない人間まで責任を負うのはどうだと。
責任がある人間にとっても、無い人間にとっても、
それはためにならない、という感じの論旨。
他に、『責任を取る』と使っているところは、例えば吉野家の件とか、
過失があって、何らかの“不利益”が生じたとき、それを埋めるためにすること、
ボランティアであったり、賠償金であったりというような感じで使ってる。
大事にしてることは、
という感じであったはず。
翻って、指摘された僕のコメントを読むに、
(状況は分からんけど)校則破ったからにはペナルティ受けろと言うように読める。
このエントリで伝わるとは思えないけど、僕個人としてはそこには力点はなくて、
生徒のぼんやりとしたコメント(もちろん、メディアによるトリミングの結果なんだが)が、
責任…問題の妥当性みたいなところに言及して無くて、というつもりだった。
だが、ま、あのコメントは糞だな。
TVのコメンテーターとまんま同じ。
本来責任を負わされるべきかどうかを考慮してもないしな。
『退学』の妥当性も全く考えてなかったし。
僕が忌み嫌ってたはずの、コメントを自分自身がしたことに失望を感じるわ。
今更遅いけど、少なくとも脳内会議の結果、
あのコメントを書いたことについて『責任取れ』という判断がおりましたので、
糞指摘に同意し、修正および補足しておきます。
むー。
文字数が足りないし、考えた後で変わってるかもしれないけど、
確かにこの通り書いたので、残しておく。
[society]"気持ちを裁判官に理解してもらえなくて、とても残念" この件で何も学んでいないのがとても残念だなぁ。自己責任で活動したんだし、責任は取ろうよ。まぁ周りの大人がいい加減すぎたんだろうけどね。
それに対する、id:sjs7のコメント。
[校則]あとでちょっと調べて記事にする。取り急ぎコメントするならば、id:konazeの意見は糞。責任とは、それによって生じる不利益が明確な際に語られるべきもの.写真集が何に不利益をもたらすのか学校教育法11条に基づき述べよ
おほwDISられたw
多分、思うところ何を書いても噛み合わないと思う。というのは、前提が違うから。
『写真集が何に不利益をもたらすのか学校教育法11条に基づき述べよ』
というのはつまり、芸能活動を禁じるこの校則の正当性を説明せよ、ということなのだと思う。
学校教育法11条はこちら。
第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
うむ。
では、述べましょう。
この校則は学校教育法11条に照らしてみて、不当だと思います。
具体的に何が必要と判断されかを説明するのは僕の義務ではないけれども、
(なぜなら、それは校則を定める人間が主観的に決められてしまうことだから)
仮に僕が生徒の立場であれば、必要性を説明できません。
…とココまで書いて、コメント見返したら、学校教育法11条が消されてた。。
あれ?
まぁいいか、仕切り直し。
ではもう一度。
[校則]あとでちょっと調べて記事にする。取り急ぎコメントするならば、id:konazeの意見は糞。責任とは、それによって生じる不利益が明確な際に語られるべきもの.写真集が何に("具体的な")不利益をもたらすのか述べよ。
ポイントは2つね。
- 責任とは、それによって生じる不利益が明確な際に語られるべきものである。
- 写真集が何に("具体的な")不利益をもたらすのか述べよ。
さて、最初の定義を僕はしたことがないので、それを解釈するところから始めなければ。
つまり、何か義務があり、それを放棄した場合に不利益が生じる。
その不利益を回避するために課されるものが責任であり、
回避すべき不利益もないのに責任だけが課されるのは不当である。
と言う解釈で良いかな?
不利益が誰にとって不利益なのかよく分からないけど、
例えば責任を取って辞職する社長は、
自らがその職務にとどまることが会社に不利益を与えるから、
その不利益を回避する責任があると言うことで良いかな。
その不利益の良し悪しを論じないのであれば、
学校側には不利益が想定できるんじゃないの。イメージとか。まさに糞だけどな。
生徒側から見たら不利益でも何でもないし。
あくまで、学校側から見てみたと言うことで解釈して欲しいけど、
印象が悪くなる(本当に悪くなるかは問わない)という不利益を回避させるために、
責任を取らせるということになるよね。
これ、社長の例と実はあんまりかわんないんじゃね?とか。
社長が不利益と認めなかったら、責任があるかどうかは意見が分かれる。
(中学生の時の自分が聞いたら泣くだろうけども、)
不利益というのは、誰が判断するかによるってことだ。
校則の妥当性については、僕は判断しない。
いや判断しないって言うか不当だと思うけれども、それは僕の意見とは余り関係がない。
要は、学校と生徒双方にとってどうであったかであって、
僕の意見は求められていないから。
校則撤廃闘争をしたいのであれば、それはまた別の話。
それよりもむしろ、5年半の間校則として受け入れてきたと言う事実は、
校則の妥当性とは別にこの生徒が、
その妥当性を受け入れていたことを客観的に示してしまっているのでは?と。
裁判官が指摘しているのはそこじゃないの?
客観的な校則の妥当性は、必要とされていないんじゃないか。
その前提で、校則で禁じられている活動を具体的に行うことには、
- 学校のイメージを損なう(生徒にとっては不利益ではない)
- 退学ないしはそれに準ずる処分を受ける(学校にとって不利益かどうかはわからない)
と言う2つの不利益が想定できる。
(妥当性の受け入れとは別にしても、5年半もいたら想定できないということはないはず)
想定は出来るが、活動を優先させた。
もちろん、不利益については活動と並行して交渉し回避していくつもりであったと思うけれども、
結果としてその交渉は不調に終わり、不利益は回避できなかった。
ただそれだけなんじゃないのかと。
何度も書くけれども、校則の客観的妥当性は、この場合の問題じゃない。
(そして何度も書くけれども、個人的には1つも妥当性は見いだせない)
仮に、校則の不当性を認めたとしても、必ずしもこの生徒が救われるとは限らない。
不当な校則に対し、活動開始時点/活動中にでどんなスタンスであったかという、
この生徒個別の問題だ。
だからこそ、
『5年半も通った学校に戻って卒業したいという気持ちを裁判官に理解してもらえなくて』
と言うコメントはなんかこう…スッと落ちてこないって言うか。
結局、心情ベースかとか。
双方共に不利益はある。
僕は、退学処分にされて諦めることを自業自得、自己責任だと言いたいわけじゃない。
謝る必要なんかひとっつもない。
そうじゃなくて、責任を取るというのはどういうことなのか。
自分の行動のどの部分が、学校側にとって不利益だったのか。
それは生徒にとっては取るに足らないことだけど、もう一方に取っては重要なんだろう。
sjs7さんの定義に照らしてみても、生徒に責任が生じる余地は十分あった。
仮に未成年だからということなのであれば、
活動に際し、関係する成人が責任を持って不利益を回避すべきだった。
親も、事務所も、学校も。
誰も不利益を想定できないとは言わせないぜ。どう考えたって想定できるだろ。
そういう意味合い(未成年だから責任がない)でいうと、
生徒が責任を取るのはおかしいけれども
それ以外に契約がないから後は民事で不利益を具体的に明らかにして、
金取るくらいしかないな。
心情どうこうじゃなくて、
突き詰めて言うと、そこ解決しないと学校も戻すわけにはいかないでしょっていう話。
全ての学校を教育の場として特別視するのであればまた話は別だけど、
ビジネスで言えば、商売にならないからね。
最初からそこ詰めておけば、倫理、道徳的にどうかはともかくとして、
こうはならなかったんじゃないの。
でもって、特に私立なわけだし生徒の側にも選択の余地はあるはずなんでね。
校則に関する闘争はじっくりやって、身柄自体は転校しておくのが正解だったんじゃねと思う。
と言うわけで途中から明らかにだらだら書いてるけど、結論としては。
sjs7さんの定義に従って考えるに、
この生徒は回避できたかもしれない不利益を回避できなかった、ないしは、
その回避に対する努力を彼女ないしは周囲の大人が怠ったために、
その不利益を埋めるために責任を取らされたのだと考えます。
不利益については、学校側にとってはイメージ、生徒側にとっては退学処分かと。
(確信が欲しいのであれば、学校側に問い合わせてください。僕が定義することではないので)
そして僕が学ぶべきだと思ったのは、強大な学校とそれに心情で挑む活動ではなく、
校則の妥当性や利益/不利益の存在等を意識して活動すること。
仮に裁判官が心情を理解しても、すぐに問題解決にはならなかった。
なぜなら問題は心情じゃないから。
以上です。
追記。
はてブコメントから、『自己責任で活動したんだし、責任は取ろうよ。』を削除。校則が規定されている事実から学校側が不利益に感じることが想定できたはず、
および、校則を無視して活動を続ければ自分が不利益を被ることが想定できたはず、
の2点から、学校側に不利益があって責任取らされても、
自分がしたいことだから仕方がないと言う覚悟で仕事をした…という意味合いでの、
『自己責任で活動した』はあったかもしれないけれども、
エントリ書く中で、生徒本人が責任を取らされる理由があるかどうかは、
ハッキリしない(そもそも、生徒以外の人間は何してたんだ)と言う結論に至ったので、
責任取れ、については削除しました。
どう言い訳してみても、生徒本人に言ってるようにしか取れないし、
責任の取り方にも色々あって、退学が責任の度合いとして妥当かって言う視点もあるだろうし、
コメントいただいたということもあるので。
追記その2。
この話がどういう構造かについては、特に調べもせずに書いてるし、(常にそういう方針と言うことではなく元が反射のコメントだし知識も足りないからそれに沿ってる)
間違ってるところも(そしてただの推測も)たくさんあると思うので、
その辺の検証については、sjs7さんに譲るとして、少なくとも、
id:konazeの意見は糞
っていう指摘は当たってるなーと思った。いかに字数足りないとはいえ。
責任の取り方や、責任を取れって言う言葉の安易さについては、
今までにも何度か書いてきてるんだよね。
責任で検索した感じではこの辺。
ゴキブリ高校生、自主退学だって? - NOBODY:PLACE - MUTTER
お調子者の住みにくい世界、かなぁ。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
いや、傷害は犯罪でしょ。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
朝青龍への処分が決定。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
高校野球の不思議。 - NOBODY:PLACE - MUTTER
その中で書いていることは、状況によってぶれはあるけれども、
基本的にはこんな感じ。
- 責任を取るというのはどういう行動を取ることか。
- その責任を負えと要求することは妥当かどうか。
例えば、朝青龍について書いたエントリが、僕個人としては印象的なのだけど、
責任って朝青龍は誰に対する何について責任取るんだ?みたいな感じ。
出場停止が責任取ってることになるとは思えない、なぜって、
それで相撲ファンは喜ぶのか?許せるか?みたいな。
高校野球の連帯責任についても同じかな。
責任の所在をはっきりさせずに、責任のない人間まで責任を負うのはどうだと。
責任がある人間にとっても、無い人間にとっても、
それはためにならない、という感じの論旨。
他に、『責任を取る』と使っているところは、例えば吉野家の件とか、
過失があって、何らかの“不利益”が生じたとき、それを埋めるためにすること、
ボランティアであったり、賠償金であったりというような感じで使ってる。
大事にしてることは、
- 責任の所在
- 行動が状況に及ぼす影響
- 責任、行動の妥当性
- 全体として一番良いのは、どんな責任の取り方か?
という感じであったはず。
翻って、指摘された僕のコメントを読むに、
(状況は分からんけど)校則破ったからにはペナルティ受けろと言うように読める。
このエントリで伝わるとは思えないけど、僕個人としてはそこには力点はなくて、
生徒のぼんやりとしたコメント(もちろん、メディアによるトリミングの結果なんだが)が、
責任…問題の妥当性みたいなところに言及して無くて、というつもりだった。
だが、ま、あのコメントは糞だな。
TVのコメンテーターとまんま同じ。
本来責任を負わされるべきかどうかを考慮してもないしな。
『退学』の妥当性も全く考えてなかったし。
僕が忌み嫌ってたはずの、コメントを自分自身がしたことに失望を感じるわ。
今更遅いけど、少なくとも脳内会議の結果、
あのコメントを書いたことについて『責任取れ』という判断がおりましたので、
糞指摘に同意し、修正および補足しておきます。
むー。




